コラム

【コラム】周りがAIを使い始めて焦った日のこと。私がスキルアップを決意した理由

【コラム】周りがAIを使い始めて焦った日のこと。私がスキルアップを決意した理由

あれは、たぶん普通の火曜日でした。

お昼休み、給湯室でインスタントのコーヒーを入れながら、なんとなく聞こえてきた会話があって。隣の営業部の佐藤さん(33歳)と、経理の木村さん(29歳)が、楽しそうに話していました。

「提案書のたたき台、AIで10分で作っちゃいましたよ」

「わかります。私も先週から議事録これで出してて、めちゃくちゃ楽になりました」

ふたりは画面を見せ合いながら笑っていました。私はコーヒーをひとくち飲んで、「そうなんだ、すごいね」と言いました。

でも、胸の中に、じわっと広がるものがありました。焦り、とも違う。取り残された、とも違う。なんというか、自分だけが知らない話をされているような、あの感覚です。

その日の午後、自分のデスクに戻ってからも、なんとなくそのことが頭から離れませんでした。


「私には関係ない」と思っていた、その頃の自分

「私には関係ない」と思っていた、その頃の自分

正直に言うと、それまでの私は、AIというものを「若い人のもの」だと思っていました。

テレビやネットで話題になっているのは知っている。でも、自分が日々こなす事務仕事——書類の整理、データ入力、会議の調整、取引先へのメール——には、あまり関係がないだろうと、なんとなく思っていました。

それに、ぼんやりとした怖さもあった。

  • 使い方を間違えたら、取り返しのつかないことになりそう
  • そもそも、自分には難しすぎて理解できないかもしれない
  • 今さら覚えようとして、周りに「何やってるんですか」と笑われたくない

どれも、小さな理由です。でも、小さな理由がいくつも重なると、人は動かなくなる。私はその典型でした。

「別に、今のままでもなんとかやれているし」と、心のどこかで思っていた。それが正直なところです。

でも、給湯室での会話が、その「なんとなく」を揺さぶりました。


じわじわ気になり始めた、小さなできごとたち

じわじわ気になり始めた、小さなできごとたち

あの火曜日から、なぜかアンテナが立ってしまって。今まで素通りしていたものが、ひっかかるようになりました。

ある週の月曜日、朝礼で部長が「業務効率化の観点から、AIツールの活用を各自で検討してほしい」と言いました。以前だったら「ふーん」で終わっていたはずの話が、なぜか耳に残りました。

水曜日には、山田くん(26歳・うちのAI担当みたいになっている人)が、会議でこともなげに「このグラフ、AIに分析させてみました」と言いました。上司が「おお、どうやって?」と前のめりになっていた。以前は眺めているだけだった光景が、なんだか他人事に見えなくなってきました。

金曜日の夜、帰りの電車でスマートフォンをぼんやり眺めていたら、「40代からのAI活用」という記事が目に入りました。タップするかどうか、少し迷って、タップしました。読みながら、「これ、私のことじゃないか」と思うフレーズがいくつかあって。

「スキルアップとか、もう私の年齢じゃないかな」と思っていた自分と、「でも、このままでいいのかな」という自分が、電車の中でひっそり言い争っていました。


背中を押したのは、意外な一言でした

背中を押したのは、意外な一言でした

決定的だったのは、その翌週のことです。

少し遅めのランチを食べに、近所の定食屋に入ったら、たまたま隣のテーブルに田中部長(57歳)が一人でいました。珍しく声をかけてくれて、少し話しました。

「最近、AIとかどうですか?」と、あまり深く考えずに聞いてしまった。

部長は少し間を置いてから、こう言いました。

「私も正直わからないことだらけだよ。でも、わからないまま放っておくのと、わからないなりに触ってみるのは、1年後に差が出ると思ってる。」

さらっとした一言でした。部長はそのあとすぐ、定食の味噌汁をすすり始めた。

でも、私にはなんか刺さってしまった。「わからないまま放っておく」と「わからないなりに触ってみる」の差。それが1年後に出る、という話。

私は今、どっちにいるんだろう。帰り道、ずっとそのことを考えていました。


決意、というほど大げさなものじゃないけれど

決意、というほど大げさなものじゃないけれど

スキルアップを「決意した」と書くと、なんだか大げさに聞こえるかもしれません。正直、そんなに劇的な瞬間はなかった。

ただ、ある夜、残業で疲れ果てた状態でデスクに座りながら、ぼんやりと思ったことがあります。

今の私が怖がっているものを並べると、

  • 新しいことを覚えるのが大変そう
  • うまくできなかったときの恥ずかしさ
  • 時間と労力をかけて、結局使えなかったときの徒労感

でも、このまま何もしなかったら、

  • 周りとの差がじわじわ開いていく
  • 「あの人、AIも使えないんだ」と思われる日が来るかもしれない
  • 1年後の自分が、今日の自分と全く同じところにいる

どっちが怖いか、考えてみたら、後者のほうが断然怖かった。

それだけのことです。ドラマみたいな決意じゃない。でも、その夜から、少しずつ触り始めました。最初は本当に、毎日ほんの10分だけ。それでも、やらないよりはましだと思って。


やってみて気づいた、自分の中の「思い込み」

触り始めてすぐ、いくつかの思い込みが崩れました。

「難しい操作が必要」という思い込み

画面を開いて、日本語で話しかけるだけでした。プログラミングも、専門知識も、特別な設定も、最初は何もいらなかった。拍子抜けするくらい、入口は低かった。難しいのは「何を聞くか」であって、「どう操作するか」じゃなかったんです。

「若い人の道具」という思い込み

山田くんたちが使っているのを見て、自分には向いていないと思っていました。でも、日本語で自分の言葉で話しかけられるなら、むしろ長年言葉を使って仕事をしてきた人間のほうが、案外やりやすいのかもしれない。そう思えてきました。少なくとも、「日本語が通じない機械」ではなかった。

「完璧に使えないと意味がない」という思い込み

これが一番、私の足を引っ張っていた気がします。うまく使いこなせるようになってから始めようと、なんとなく思っていた。でも、うまく使えるようになるには、下手なまま使い続けるしかない。料理も、自転車も、エクセルの関数だって、最初からできた人なんていないのに。なぜかAIだけは、最初から完璧にできないといけないと思っていました。


それでも、楽には慣れない日々が続いています

触り始めたからといって、すぐに何かが変わるわけじゃありませんでした。

うまく使えた日は「なんか、ちょっといいかも」と思う。うまくいかない日は「やっぱり私には向いていないのかな」と思う。その繰り返し。

夕方になると相変わらず画面の文字がにじんで見えるし、肩は凝るし、帰りの電車でうとうとしてしまうのも変わらない。劇的に仕事が楽になった実感は、まだそんなにありません。

でも、一つだけ変わったことがあります。

給湯室で若い同僚がAIの話をしていても、あの「じわっとした感覚」が、以前より薄くなりました。完全になくなったわけじゃないけれど。「私もちょっとだけ、触ってる」という事実が、心のどこかで小さな支えになっているみたいです。

それで十分だと、今は思っています。


同じように「乗り遅れた気がする」あなたへ

このコラムを読んでいる方の中に、あの火曜日の給湯室の私と同じような気持ちを抱えている方がいるかもしれません。

そういう方に、偉そうなことは言えません。私自身、まだ全然うまく使えていないし、失敗もしています(以前の記事に書いた「丸投げ事件」が良い証拠です)。

ただ、一つだけ言えることがあるとしたら。

「怖い」と「難しい」は、別のことでした。

私が感じていたのは、難しさじゃなくて、知らないことへの怖さだったんだと思います。触ってみたら、怖さは少し薄れた。難しさはまだあるけれど、それは慣れていけばいい話で。

焦らなくていいと思います。でも、「いつかやろう」は、たぶんいつまでもやってこない。私がそうだったから。

今日の帰り道、電車の中でちょっとだけ触ってみる。それくらいの小さな一歩が、1年後の自分を少しだけ変えてくれるかもしれません。

私も、まだその途中にいます。一緒にゆっくり、やっていきましょう。

読んでくれてありがとうございました。